こんにちは。大分市 メンタルケア カウンセリング ルーム の Quartz in Quartz (クォーツインクォーツ)です。
暑さ寒さも彼岸まで。と昔の方はよく言ったもので、最近少し涼しくなってまいりました。運動会の季節にもなりましたが、今年はコロナの影響で中止や短縮、観覧制限などが多いようです。環境的な影響とはいえ寂しいですね。
さて今回は最近、世間を騒がしている「 自殺 」についてお話していきたいと思います。
「死にたい…。」「もうこんな人生とめたい…。」「私が死んだらきっと私の価値に気づいてくれる。」「私が死ねばあの人は苦しむだろう。」「もう終わりにしたい。」「苦しみから逃れたい。」etc…。
様々な理由で自殺を考える方はいます。そして発作的に命を絶ってしまう方が実在します。著名人の三浦春馬さん、芦名星さん、竹内結子さんなどは皆さんの記憶にも新しいと思いますが…
人はなぜ自分で自分を殺してしまおうと考えるのでしょうか?
そう、「自分で自分を殺すこと。」これが自殺です。小説の中の言葉や映画の中の言葉を借りれば「自分の幕を自分でおろす。」とか「自分の散りざまを自分で飾る。」など、美しい表現の様に聞こえがちですが、どんなに美しい言葉で飾っても人殺しであることにかわりありません。自分という人間を自分の手で殺すわけですから、決して美しいものではありえないのです。
どうしてそんな風に考えてしまうのでしょうか?「命」はそんなに軽々しいものなのでしょうか?
一説によると、自殺者の大半は強い鬱症状をお持ちの方で鬱の状態のときに起こしてしまうと言われています。では強い鬱症状とはどのようなものなのでしょうか?
鬱病のお薬を飲まれている方?病院に通われている方?そうではありません。
少なくとも自分の精神状態が鬱症状であると感じていて病院に通われている方は治療しようという意志をお持ちの方だと思います。治療しようと思うということは生きる意志があるということです。そんな人は自殺しようなんてあまり考えないのではないでしょうか。
ではどんな状態の方が自殺をしてしまうのでしょうか?
人は支えられて生きています。何に支えられているのかは人それぞれです。親、子供、伴侶、友達、仕事、趣味、ペット、神様etc…いろんなものがあります。自分は天涯孤独で一人っきりで生きてます。という方もその自分自身の気持ちに支えられて生きているのではないでしょうか?
その支えが無くなった時、信じられなくなってしまった時、なくしてしまった時…そんな時にふと発作的に自殺をしてしまうのではないでしょうか?と私は考えます。
支えられているものは一つではなくて、いろんなものがある。それを全て失ったと感じた時、または自分自信を失ってしまった時、生きるということを見失い発作的に自分を殺してしまうという想いや衝動に負けてしまうのではないでしょうか?
自殺を止めるすべはわかりません。でも、もし何かあるとすれば、誰かに話をすること、出来るのであれば自問自答の作業をすること、思っていること、思い詰めていることを紙に書いてみること…深呼吸をしてほんの少し考えてみることで思い留まることが出来るのではないでしょうか…。
自殺は美しいものでもないし、人に迷惑をかけるものだし、殺人です。そして一度閉じられてしまった命は二度と開きません。唯一無二のそれを簡単に閉じてしまわないでください。
心から願っています。