自傷行為は心の叫びの代償

ご無沙汰しております。
新年が明けまして最初のブログ更新となります。
令和二年はより一層の勉強を重ね、心の泉に寄り添えるように精進いたします。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
さて、少し重いテーマかもしれませんが「自傷行為」についてお話をしたいと思います。
「自傷行為」は「自殺行為」と=と考える方がいらっしゃるようですが、実は全く違います。
勿論、放っておけば「自殺行為」に発展するケースがないとは言えませんが、多くは『その人がその人であるための行為』と言うことができるのではないかと思います。
『その人がその人であるための行為』、ちょっとわかりにくいですね。わかり易く例を挙げてお話しますと、例えば誰かに対する憎しみや怒り、あるいは殺意に似たような感情を抱くことがあります。人には理性というものが存在しますから、それを抑える、抑制する、留める、あるいはうまく伝えようとする、身内や遠慮のない関係であれば、それをそのままぶつけることもあるかもしれません。そうして気持ちの整理や抑制を行うことができます。
ただ、この作業を何らかの異常によりできない人がいます。(異常の理由は様々で、そこまで生きてきた中での環境が関係していることが多くあります。)
人としてその人としてその尊厳を保とうとした結果、その代償として「自傷行為」を行ってしまうという結果に繋がっている。こういったことが少なくありません。
我慢したくないことを我慢する、ぶつけたいものを抑え込む、感情を鎮めるなど理由は様々ですが、その代償として自身を傷つけているということ、それが「自傷行為」です。
その為、「自傷行為」をする方の多くがそれを行うことによって落ち着くと答えられます。
では私達、周囲の人は何をすればよいのでしょうか?…
先ずは「自傷行為」を見つけても決して大声を出したり、責めたりしないでください。死のうとしていると勘違いしないでください。むしろ生きる為の行為であると考えてください。そうしてその気持ちに寄り添ってあげてください。「この人はこうやって自身を保とうとしているんだ、壊れまいとしているんだ、こうやって今までを乗り越えてきたんだな…」そんな風に理解をしてください。勿論、傷の手当はしてあげて構いません。かける言葉に困るのであれば黙々と、何か少しでも理解できるものがあれば「こうやって頑張ってきたんだ」など、否定する言葉ではないものを。それが「自傷行為」を止めるための第一歩になります。自分の気持ちを理解しようとしてくれている人がいる、または理解してくれる人がいる…そう思うことが第一歩になります。時間はかかるかもしれません。何度も繰り返すかもしれません。それでも根気強く寄り添ってあげてください。心から理解してくれる人がいる、と思うることが出来ると少しずつ心を開いてくれると思います。なにか話をしてくれたら、「話してくれてありがとう」や「よく話したね」や「こうやって頑張ってきたんだね」等、その人を温かく包んであげてください。ちょっとずつで良いと思います。気持ちを開いて良い場所を作ってあげることが一番の近道になると思います。